世界の教育格差はどこから来ているのか?
みなさん、こんにちは😊
「教育はすべての人の権利」とよく言われます。
国連のSDGs(持続可能な開発目標)でも、「質の高い教育をすべての人に」が掲げられています。
でも、現実はどうでしょう?
-
学校にすら通えない子どもたち
-
教科書も机も足りない教室
-
教師の質や数がバラバラ
-
インターネットが使えるかどうかで、学べる内容が違う
世界には、「教育を受けられる人」と「受けられない人」の間に、依然として深い溝があります。
今回は、「教育格差はどこから来ているのか?」という問いについて、
歴史、経済、社会の側面からじっくり掘り下げてみましょう。
🏫 そもそも「教育格差」ってなに?
教育格差とは、出身や地域、性別、経済状況などによって、教育の機会や質に差があること。
具体的には👇
-
学校に通えるかどうか(アクセスの格差)
-
学べる内容や先生の質(教育の中身の格差)
-
将来の進学・就職の機会(教育からつながる格差)
→ 「義務教育があるから平等」とは限らず、表面的には学校があっても、内容や条件には大きな差があります。
🌍 教育格差の「地図」
📌 1. 南北問題:グローバルな格差
-
アフリカ・南アジアなどの発展途上国では、今も数億人の子どもが学校に通えていない
-
例)ナイジェリア:1000万人以上の子どもが未就学(主に女子)
-
内戦や貧困、宗教の制約が大きな壁に
一方で、
-
北欧や日本、韓国などの先進国では、ほぼ100%の子どもが高校まで進学
-
大学進学も当たり前になっている国が多い
→ 国によって「教育のスタートライン」すら大きく異なる
📌 2. 都市と農村の格差
たとえ同じ国の中でも、都市部と農村部では教育環境に大きな差があります。
-
都市:インターナショナルスクール、電子黒板、進学塾
-
農村:教科書が不足、先生が少ない、通学に何時間もかかる
例)中国やインド、インドネシアではこの格差が非常に大きい
→ 教育への「アクセス」だけでなく、「中身」や「進路の選択肢」にも差が生まれます。
📌 3. 性別による格差
-
多くの国で女子は男子よりも教育を受ける機会が少ない
-
理由は:
- 伝統的な価値観(「女の子は家事を」)
- 初潮後の退学
- 学校にトイレがない問題
- 児童婚による中退
例)アフガニスタンや一部のアフリカ諸国では、女子教育が制限されることも今なお現実
→ 性別が、人生の選択肢を決定してしまう世界がまだ存在しています。
🕰️ 教育格差の「歴史的背景」
教育格差は突然できたわけではありません。
多くの国では、歴史的な植民地支配や階級制度が今も影を落としています。
-
アフリカ:植民地時代は、現地語の教育が制限され、エリート養成だけが目的だった
-
南アジア:カースト制度や男女差別が今も進学率に影響
-
南米:大地主層と先住民・黒人系住民との間で、教育レベルに大きな差がある
→ 教育は「平等な制度」に見えても、出発点が平等ではないのです。
💻 新たな教育格差:「デジタル・ディバイド」
コロナ禍によって急速に広がったのが、オンライン教育の格差です。
🖥️ ネットに繋がれるかどうかで学力が決まる?
-
パソコンやタブレットがない
-
安定したWi-Fiがない
-
両親がサポートできない
-
静かな学習環境がない
→ 都市の富裕層の子どもと、農村や低所得家庭の子どもでは**「学べる量と質」が圧倒的に違う**
例)ラテンアメリカでは、公立校の学力が1年半分遅れたという調査も。
📉 教育格差は「次の格差」を生む
教育は、仕事・所得・健康・社会参加にまで影響するため、
教育格差は将来的に貧困や格差の再生産を引き起こします。
-
教育が不十分 → 低賃金・不安定な職 → 子どもにも教育を与えられない
-
「貧困の連鎖」が生まれる構造
これは、発展途上国だけの話ではありません。
日本やアメリカでも、家庭の経済力が進学率や学力に直結しているというデータが出ています。
🌱 どうすれば教育格差はなくなる?
💡 各国・団体の取り組み(一部紹介)
-
ユネスコの「教育を受けられる権利キャンペーン」
-
ワールド・ビジョンの学校建設支援
-
日本のNPO「ルーム・トゥ・リード」などによるアジアの図書支援
-
アフリカでのソーラー照明付きナイトスクールの導入
✅ 必要な視点は?
-
“学校に通える”を超えて、“何をどう学べるか”まで見ること
-
教育は“制度”ではなく、“生活に根差した権利”であること
-
教師の育成、保護者の理解、地域社会との連携も不可欠
✍️ まとめ:「教育格差」は未来の格差につながる
教育は、本来、人間の可能性を開く入り口です。
でも、その入り口が平等でなければ、未来はどんどん不平等になります。
今、私たちが問い直すべきことは:
「なぜあの子は学校に行けないのか?」
「誰が、どこで、何を、どうやって学べているのか?」
「教育を“受ける力”すら奪われている構造は何か?」
という、“教育の権利”を本当の意味で公平にするための視点なのかもしれません。
今日も読んでくださってありがとうございました😊
コメント
コメントを投稿