モロッコと西サハラ、地図にのらない国の物語
みなさん、こんにちは😊
モロッコと西サハラについて聞いたことありますか?
「モロッコは観光で人気の国だよね?」
「西サハラ?それって国なの?それとも地域?」
…実はこのふたつ、地図に描かれた“境界線”をめぐって、長年モヤモヤした関係が続いているんです。
今回はそんな「地図にのらない国」の物語を、やさしくひもといてみたいと思います📖🌍
🏜️ 西サハラってどこ?
アフリカ大陸の北西部、モロッコの南に位置する砂漠地帯――それが「西サハラ」です。
実はこの地域、「国」としての独立を宣言しているのに、多くの国から“国”と認められていないという、とても特殊な状況にあります。
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面積は日本の約1.2倍
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人口は約60万人
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首都とされているのは「アイウン(Laayoune)」
でも地図をよく見ると、西サハラのあたりには「モロッコ」と書かれていることが多いんです。なぜでしょう?
🕰️ 少しだけ歴史をさかのぼると…
もともと西サハラはスペインの植民地でした。
1975年、スペインが撤退すると――
「じゃあここは、独立国家としてやっていこう」
と考えたのが、先住民族サハラーウィたちがつくった**「サハラ・アラブ民主共和国」**。
一方で、
「いや、この土地は昔からモロッコの一部だった」
と主張したのが、モロッコ政府です。
こうして、西サハラをめぐって**「どちらのものか?」という対立**が始まりました。
⚔️ 紛争と停戦、そして“分断された日常”
1975年以降、西サハラを支配しようとするモロッコと、独立を求めるサハラーウィの武装組織「ポリサリオ戦線」が衝突。
数万人の人びとが難民となり、隣国アルジェリアの難民キャンプへ避難しました。
1991年、国連の仲介で停戦が成立。
でもそれは、問題が解決したという意味ではありませんでした。
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モロッコは西サハラの大部分を事実上「支配」
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ポリサリオ戦線は残りの地域を「独立国」として主張
つまり、ひとつの土地に“二つの正義”が存在しているような状態なんです。
🗺️ 地図に描かれない「国」
現在、「サハラ・アラブ民主共和国」はアフリカ連合の一員として認められていますが、日本や欧米の多くの国々は「国」として認めていません。
なぜなら、
「独立かどうかは、まだ最終的に決まっていない」
というのが国際社会の立場だから。
地図上ではグレーなラインで描かれたり、注釈つきで「係争地」と表記されたり…。
“国なのに、国ではない”――そんなあいまいな存在が、西サハラなのです。
🧱 壁に分断された風景
西サハラには、**モロッコが築いた全長2700kmの「砂の壁(バミュー・ウォール)」**があります。
これは、モロッコが支配しているエリアと、ポリサリオ戦線の拠点を物理的に分ける巨大な防衛線。
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監視塔あり
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地雷原あり
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通行不可
この「壁」は、家族や土地、文化までもを引き裂いてしまいました。
💬 「私たちは誰?」と問い続ける若者たち
難民キャンプで育ったサハラーウィの若者たちは、こんなふうに語ります。
「私たちはどこにも属していない気がする」
「国があると言われても、パスポートも使えない」
国際社会にとっては“遠い場所”でも、**彼らにとっては“自分のアイデンティティの根っこ”**なんです。
🤝 少しずつ変わる風向き
最近では、アメリカが一部で「モロッコの主権を認める」と発言したり、イスラエルとモロッコが関係を深めたりと、国際政治の動きも影響を与えています。
一方、国連は今も**「住民投票による最終的な決着を目指す」**という姿勢をとっています。
でも、それが実現するのはいつになるのか――
だれにも、はっきりとはわからないまま時間が過ぎています。
🌱 私たちに関係あるの?
「西サハラなんて遠い国の話でしょ?」と思うかもしれません。
でも実は――
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地図に描かれない現実が、いまも存在している
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「国」とは何か、「国民」とは誰かという問いがここにある
ということを、改めて考えさせてくれるテーマでもあります。
📝 おわりに ― 境界線の向こうに生きる人たち
モロッコと西サハラの物語は、ただの地図の問題ではありません。
そこには、言葉にならない願いや、見えない痛み、忘れられそうな声が存在しているのです。
遠い世界の話のようでいて、
「国とはなにか?」「平和とはどう築かれるのか?」
そんな大きな問いを、そっと私たちの足元に置いてくれます。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました😊
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